【後編】心が壊れそうだった私が「離婚してよかった」と思えるまで

離婚とその前後

夫と別居してからの日々は、想像以上にハードでした。

パート先だった職場で、上司に声をかけてもらい契約社員に。まだ不安定だったけれど、経済的な一歩を踏み出すチャンスでした。

ちょうどその頃、実父が入院。 母が私と子どもたちの生活を支えるために同居してくれたのですが、しばらくして転倒し、大腿骨骨折で入院することに。

その翌日、病院からのまさかの連絡で父が急逝。 母の手術と父の葬儀が同日に重なり、三姉妹で手探りのまま何とか葬儀を終えました。

別居から2ヶ月ほどしか経っておらず、私はまだ夫の顔を直視できない状態でした。別居の理由もあり、姉妹は葬儀の準備で精一杯。私は元夫に「今回は来ないでほしい」と伝えました。そのことで夫との関係、そして夫の両親との関係もさらにこじれてしまいました。「離婚もしていないのに葬儀に呼ばないなんて非常識だ」と責められ、ただでさえ気持ちが限界だった私は、さらに傷つきました。

長女と次女には、夫が葬儀に来ない理由を説明しました。「お父さんは、他に好きな人ができたから、お母さんとは暮らせなくなったよ」と。空気の悪さに気づいていたとはいえ、小6と小4だった二人にとっては衝撃的な話だったと思います。

実は、真ん中の子ども(次女)が、夫婦間の空気を敏感に察知し、体調不良や抜毛症などの症状が出ていました。別居後、小児精神科への通院が始まりました。担任や保健の先生が寄り添ってくれ、私は子どもと交換日記を始めて、お互いの気持ちを伝え合いました。

やっと少し落ち着いてきた頃、父の急逝が重なり、長女にも影響が出ました。祖父の死、父との別居…心のバランスを崩したようで、学校を休みがちに。

私はなんとか学校に行ってほしくて、途中まで一緒に登校したり、そばでサポートしながら少しずつ寄り添う毎日を送りました。

でも、毎朝の泣きじゃくる娘に付き合ううち、私自身も限界に。朝から涙が止まらず、「もう無理だ」と思い、学校を休ませる決断をしました。小6の12月から2月までの3ヶ月。たったそれだけの期間なのに、とても長く感じました。

学校に復帰できたのは、娘の友達が根気強く寄り添ってくれたおかげです。

その頃、私は契約社員として仕事量や責任も増え、母の入院中は定時で退社し、お見舞い、家事、育児を必死にこなす日々。

さらに、夫との関係も平行線のまま。LINEでは話が通じず、顔を見るのもつらく、必要な会話すら避けてしまう私がいました。

思い返せば、別居前の生活もハードでした。父の入院中、農家だったため母が一人で畑を守っており、私も指示を受けながら畑作業を手伝っていました。仕事、家事、育児、畑…すべてを終えて、夜に本を読みながら一息つくと、夫が帰宅。そして「なまけてる」と言われる日々。

夫は残業後に資格勉強をしており、私にも正社員を目指してほしかったようです。でも、私にはそんな余裕はありませんでした。

夢だった仕事に転職する前は正社員だった私。けれど、今の私は夫にとって「稼げない、価値のない存在」になっていたのかもしれません。

夫は謝ることもなく、別居は続きました。 通帳は私が預かっていて、生活費はそこから管理し、夫に毎月一定額を渡していました。

そんな中、夫から「通帳を返してほしい」と連絡が。生活費はどうするの?と問うても、話は平行線のまま。

不安になった私は、専門知識のある弁護士に相談することに。

娘の同級生のシングルママに勧められ、「リベ大(リベラルアーツ大学)」を知り、お金の勉強を始めました。

家計管理を見直し、自分の給料、養育費、母子扶養手当、そして貯金……離婚後の生活が成り立つ目処が立ったことで、ようやく離婚を決意できました。

協議離婚だったので、離婚までのやり取りや手続きについてはまた別の記事で詳しくまとめようと思います。


離婚して改めて思うこと

もしあのまま我慢して夫婦関係を続けていたら、家庭内の空気は冷え切ったままだったと思います。 お互いを思いやることもなく、子どもたちにももっと深い傷を与えていたかもしれません。

今、子どもたちからは「離婚してからのお母さんの方が面白くて楽しい!」と言われています。 離婚前は怒ってばかりで、子どもに八つ当たりしていた部分もあり、怖かったと…。

今は、自分で決められる自由、顔色をうかがわなくていい日々。子どもたちと毎日笑い合える生活が本当に幸せです。

正直、誰かに支えてほしいと思うこともゼロではありません。 でも、初めて付き合った人とそのまま結婚して、もう恋愛なんてできないと思っていた私が、「もう一度恋愛してもいいかも」と思えていることが、何よりの変化です。

「離婚してキレイになってやる!」と、娘と一緒にスキンケアやメイクの研究をしたり、恋活のことは家族には内緒でこっそり楽しんだり……。

女手ひとつでも暮らしていけること、そして45歳でも離婚後の人生を思いっきり楽しんでいることを、これからもこのブログで綴っていきたいと思います。

私の経験が、誰かの背中をそっと押す一歩になりますように。

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