🌸はじめに
別居や離婚は、親にとっても子どもにとっても、大きな心の変化を伴うもの。
我が家では、次女が体調不良から抜毛症に、長女は不登校に。
今振り返ると、子どもたちは言葉にできないSOSをずっと発していたのかもしれません。
この記事では、次女と長女それぞれの心の変化と向き合った日々、そしてその中で私が学んだことを綴っています。
同じように悩んでいる方の心が、少しでも軽くなりますように。
🌷次女の体調不良と抜毛症
小学4年生の春、始まった体の不調
「気分が悪い」「頭が痛い」「お腹も痛い」——。
そんなふうに次女が言い出したのは、小学4年生の春ごろのこと。
私はというと、転職したばかりで余裕ゼロ。夫とも揉めてばかりで、気づけば子どもたちの前で泣きながら訴えてしまうこともあり。
その影響もあったのか、次女の体調不良はどんどん深刻になっていきました。
抜毛症の発症
夫婦の関係が最悪だった頃、次女の抜毛症が始まりました。
最初はまつげ、次に眉毛、やがて頭の毛まで抜いてしまうように。
頭痛などの体調不良もあったため小児科でMRIなどの検査も受けましたが、原因は見つからず。これはもう「心のサイン」だとしか思えず…。
「夫婦の問題が、子どもに影響してるんだ」と確信して、私は夫と向き合う覚悟を決めました。
そこで夫から言われたのが、「好きな人ができた。数年後に離婚したい」という一言。
それをきっかけに、別居が始まりました。
別居、そして変化の兆し
不思議なことに、夫の顔色を伺うような生活から解放されたことで、私と次女は一番早く心が軽くなったのを感じました。
ただ、学校には通えていても、抜毛症はなかなか治らず。
学校の保健の先生が紹介してくれた小児精神科に行ってみたところ、2軒目でようやく信頼できる先生に出会えカウンセリングへ通うように。
カウンセリングで見えた「大人な」次女
月に一度のカウンセリングでは、子ども+私+先生で話す時間と、私だけが話す時間とがあり。
先生の前で話す次女の姿に、私はびっくり。
とても丁寧で、気を遣った話し方をしていたからです。
先生からは「我慢する癖がついている。10歳でここまで気を遣うのはちょっと大人すぎる」と言われてしまい…。
次女は二番目ということもあって、小さい頃から空気を読むのが上手な子でした。
でも、それが「我慢」に変わっていたのかもしれません。
交換日記で心をつなぐ
次女は口ではうまく気持ちを言えないタイプ。
でも、小さい頃から手紙では自分の気持ちをちゃんと書けていたのを思い出して、交換日記を始めました。
学校での出来事、姉妹ゲンカのこと、夫が出て行ったこと… どれも素直な気持ちが綴られていました。
私は、
- 「あなたは何も悪くない」
- 「こんな状況になってしまってごめんね」
- 「お母さんはあなたたちが大好き。毎日笑っていたい」
そんな気持ちを、日記を通してまっすぐに伝えました。
学校との連携と支え
担任や保健の先生もとても親身で、面談や保健室対応など、本当に助けられました。
特に、
「お母さん、大丈夫ですか?」
と声をかけてくださったことが、何よりも心にしみました。
「一人じゃない」と思えたことで、私自身の気持ちもすごく楽になりました。
少しずつ見えた光
頭髪の抜毛はなくなり、まゆ毛・まつげは続いていたものの、笑顔が明らかに増え、体調不良も減っていきました。
離婚成立後、小学6年に進級するタイミングで「氏の変更」も。
気がつくと眉毛も生えてきて、卒業式では「可愛い写真を残したい」とまつげを抜くのを自分でやめる決意。
現在中1の次女。まつげもほぼ生え揃い、笑顔いっぱいで毎日を過ごしています。
次女について思うこと
小さいころから気を遣うタイプだった次女。
私たち夫婦の問題を放置していたことで、次女の心に大きな負担をかけてしまったことは、本当に申し訳なく思っています。
別居・離婚のきっかけが夫だったということもあり、次女はいまでも父親を許していません。
でも、別居してからのほうが明るくなったのは事実です。
学校では部活に打ち込み、友達もたくさん。毎日楽しそうにしてくれています。
離婚してからの方が、親子の時間も増えました。
あの頃は泣きながら我慢していた子が、今では少しの不安でもすぐに話してくれるように。
まだ「片親にしてしまった罪悪感」は消えないけれど、心優しい次女と毎日笑って過ごせていることに、心から感謝しています。
🍀長女の不登校と心のシャットダウン
少しずつ見えていたサイン
長女は、別居の前から「学校に行きたくない」と言うことが増えていました。
友達とのささいなトラブルが原因でしたが、夫が厳しい人だったので、真面目な長女はなかなか言い出せず…それでも一生懸命通っていたようです。
別居と祖父の死。心が壊れた瞬間
祖父が急逝したタイミングで別居の真実を話しました。
大好きだった祖父、信じていた父親——立て続けに大切な存在を失ったことで、長女は心を閉ざしてしまいました。
男の人を拒絶するようになってしまい、担任の先生が独身の男性だったこともあり、学校へ行けなくなり…。
とにかく、心が追いつかない状態だったと思います。
私も必死だった日々
とにかく何とか学校に行ってほしくて、毎朝登校班の集合場所まで付き添ってみたり、時間割を一緒に準備してみたり。
「お風呂に入ると明日が来るから嫌だ」と泣く娘のために、香りの良いシャンプーや入浴剤を選んで、少しでも気分が上がるように工夫もしました。
でも、だんだん私の心も疲れてしまって。
泣きじゃくる長女を前に、「ここまで無理して学校に行かせなくてもいいんじゃないか」と思うようになりました。
真面目な子だからこそ、ぷつんと糸が切れてしまったんだと思います。
夫側の無理解と心の傷
登校班LINEの連絡から、不登校のことが夫にも伝わり。
すると夫は、長女に直接「なぜ学校に行かないのか」と問い詰めるようなことをしてしまい、長女はさらにパニックに。
私は「責めるようなことはやめてください」と伝えたけど、返ってきたのは「勉強が遅れないか心配です」という返事でした。
…正直、勉強のことなんてどうでもよかった。
ギリギリのところで踏ん張ってる娘が、また笑ってくれたらそれだけでよかったのに。
このときばかりは、本当にかみ合わないなと心の底からがっかりしました。
回復への一歩と卒業式
学校を休む日々が続いたけれど、仲の良い友達がたびたび家に来てくれたり、LINEでつながってくれていたのが救いでした。
中学校の説明会に少しだけ顔を出せたのをきっかけに、少しずつ登校日が増えていって。
卒業式にも笑顔で参加できて、私は一人でその姿を見届けながら、涙が止まりませんでした。
中学校で見せた変化
中学に入ってからも、友達関係で学校を休むことは何度かありました。
でも、私はもう「無理に行かせない」と決めていたので、本人の気持ちに任せました。
部活が好きな子だったので、顧問の先生が家に様子を見に来てくれたのをきっかけに、学校にも通えるように。
中学での不登校は、そこまで長く続くことはありませんでした。
長女について思うこと
真面目で頑固な性格は夫にそっくり。
でも、別居を機に一度心が崩れてからの長女は、まるで別人みたいに明るくなりました。
学校では今でも真面目ですが、家では「ネジが5本くらい取れた?」っていうくらい、ひょうきんでおちゃめな子に(笑)
多感な時期に親の都合で大きなストレスを背負わせてしまったことは、本当に申し訳ないと思っています。
けれど、あのまま真面目一筋で成長していたら、社会に出てから苦労していたかも…
長女なりに、別居や離婚という過酷な経験を乗り越えて、心の幅が広がったような気がします。
離婚という出来事そのものについては、今でもモヤモヤしている様子もありますが、それでも今の生活の方がのびのびしていて、自由そうに見えます。
試練を乗り越えた今の姿は本当にたくましく、我が子ながら尊敬しています。
💐子どもたちへ、そして私の気持ち
「片親にしてしまった」という思いは、今でも完全には消えません。
でも、みんなで泣いて笑って、いろんなことを乗り越えてきたからこそ、今の我が家があります。
反抗期があってもおかしくない年ごろなのに、うちの中は毎日明るくて、ちょっと“うるさい”くらい(笑)
今では、学校行事や部活動にもできるだけ関わるようにして、子どもたちとの時間を一番大切にしています。
「ママ、仕事も家のことも、私たちのことも頑張ってるね」
そんなふうに言ってくれる子どもたちに、私は何度も救われてきました。
たまに気持ちが落ちて、何もできなくなる日もあるけど、それでも思うんです。
子どもたちがいてくれて、本当に良かったなって。
これからも「子どもたちのために頑張る」じゃなくて、「一緒に笑ってがんばろうね」と言える母でいたいです。
完璧な母親じゃなくても、疲れて動けない日も
その日その時、できることを精一杯やっていく——
それが今の私の目標です。
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