あの頃の私は、笑って過ごす“幸せなふつうの主婦”だった
結婚して、3人の子どもたちに恵まれ、真面目な夫と静かな日々を送っていました。
派手な生活ではなかったけれど、家族でご飯を食べて、笑って過ごして——
そんな“何気ない毎日”が、私にとっては本当に幸せだったんです。
すれ違いは、転職と夢のスタートから始まった
私も夫も、それぞれの理由で仕事を変えました。ずっと憧れていた“夢だった仕事”に転職した私。けれどその職場では、どうしても合わない上司との関係に悩みました。
そんなある日、つらくて泣きながら夫に相談したことがありました。すると、返ってきたのは「俺にそんなこと言われても困る」「俺だってきつい」という言葉。
ただ、聞いてほしかっただけなのに…。ああ、もうこの人には何も相談できないんだ。
そう感じてから、私の心は少しずつ夫から離れていきました。もちろん、それは態度にも表れていたと思います。
環境がガラッと変わり、お互いに余裕がなくなっていったのだとも。
仕事自体はやりがいがあって続けたかったけど、精神的に限界になってしまい、1年ほどで退職することに。
家にいても会話はどんどん減っていって、ふたりの空気はどこかピリピリしていました。
もう一度話したいと思った私と、かみ合わない会話
夫はだんだんと口数が減り、家ではほとんど笑わなくなりました。
私も無理に話しかけるのをやめ、必要最低限の会話だけの日々。
家庭の空気は冷え切っていて、子どもたちにもそのストレスが伝わってしまったのか、
当時、ひとりの子どもが抜毛症を発症しました。
病院をはしごしながら、「このままじゃ本当にダメになる」と思い、勇気を出して夫に話しかけました。
夫の部屋へ行って、「このままじゃいけない、ちゃんと話し合いたい」と。
でも返ってきたのは、
「パートなんてやめて、資格を取って正社員になれ」
「俺が死んだらどうする?」という、全然かみ合わない話ばかり。
とうとう私の口から、「もしかして、離婚したいと思ってるの?」と聞いてしまいました。
少しの沈黙のあと、夫は小さく「うん」とうなずいて——そして、
「実は……好きな人ができた」と口にしたんです。
信じられませんでした。
何度も話し合おうとしてもすれ違ってばかりだった理由が、その一言で全部つながったような気がしました。
「離婚したい」と言われたこともショックでしたが、
それ以上に、夫がすでに“心を他の誰かに預けていた”ことに、底知れない悲しさを感じました。
しかも、すぐに離婚するのではなく、
「子どもたちが落ち着いたら数年後に」と言われたとき、私はもう何が正解なのかわからなくなっていました。
頭がパニックになって、ただ涙が止まりませんでした。
一睡もできないまま朝を迎え、気持ちを保てなかった私は、
「しばらく実家に行ってきてほしい」と夫に伝えました。
子どもたちには、「お父さんは出張」と伝えました。
本当のことなんて、とてもじゃないけど言えませんでした。
つづく——
こうして、私たちの家庭は静かに、でも確実に崩れていきました。
続きとなる【後編】では、
「離婚なんてできない」と思っていた私が、どうやって前に進んだのかを綴っていきます。
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